故里 南部町とのご縁
山陰情報誌「キラリ」の編集長 奥田英範さんが突然、立ち寄られた。
「次集 春号の特集で南部町を取材中なんですけど、坂本町長にお話を伺っていたら,
安部さんの話が出て、南部町出身だと聞いたもんですから・・・・・。」
今までも何回かキラリの取材を受けて、奥田編集長とは顔見知りの仲。
昨年 春、「祐生出会の館」で、町の依頼を受けて旧作展をさせて頂いたり、このところ、
何かと南部町がらみのご縁が続いている。
緑、木漏れ日、湧き水、せせらぎ、れんげ畑、桜土手・・・恵まれた自然の中で育まれた感性で、
こうして、今も人形を創らせて頂いているんだと思うこの頃です。
1999年、南部町総合福祉センターにブロンズ像「絆~明日への詩」を製作したのですが、
当時、(旧)西伯町の発展を願い、女の子が指している方向が、陽 昇る東方。
西伯町を担っていく子供たちが学ぶ小学校を指す筈だったのに、設置時にずれてしまいました。
でも、後で合併することになった(旧)会見町の方向を指していたんだと気がつきました。
そんな話のついでに
「来年、秋から北鎌倉の古民家ミュージアムで常設展示がオープンすることになったんです。」
と言ったら、
一緒にいらしたライターの 日高むつみさんが
「私、鎌倉に住んでいるんですよ、あの辺は散歩コースなんで、よく知っています。」
「エー、鎌倉の方ですか!!・・・。」
なんと、本当は塩見佐恵子さんが担当の筈がご体調が悪く、急きょ、日高さんに変わられたんだとか。
そして又、米沢の上杉博物館で人形展をした時の偶然にしては・・・・・という
不思議なご縁の話をした時(3つもあるのです)
「明日、南部町の長尾さんを訪ねることになっているんですが、ご先祖が上杉藩だったそうで・・・。」
「エー!!、上杉藩?」
こんな、おもしろいご縁がいっぱい繋がってきました。