沖縄で
4月25日から3泊4日で広島空港から沖縄に行ってきました。
人形「家族・祈り」を依頼主の池田さんご夫妻(鎌倉在中)と琉球識名院で待ち合わせご案内いただいた。
( 琉球識名院 )
岐阜に本坊がある500年の法灯を受け継ぐ無量寿山光明寺の
前住職が50年以上前に沖縄を巡礼し、各地の慰霊碑で戦没者の追悼を行った。
その際に糸満市にある最も数多くの無名の方々が眠られている
「魂魄(こんぱく)の塔」で沖縄戦の様子や地元の方々の思いを聞き
「いつか、この地に無念にも命を落とされた戦没者を弔い
仏教の教えを伝えるための拠点となる寺院を建立したい」との想いを持たれたそうです。
( 魂魄の碑 )
琉球王家最大の別邸がある世界遺産「識名園」の正面に位置し
沖縄で最大級の木造建築寺院で、本堂には樹齢1000年を超えるカナダ檜を使用した
18本の大柱が支え、梁や内柱のない天井垂木構造だそうです。
( 琉球識名院 )
「家族・祈り」は有難いことに、その本堂に設置されていて、
副住職が「浄土真宗の教義にも ふさわしい人形だと思います。」と言って下さったそうです。
制作にあたって、7人それぞれに役割の分担を持たせ、
キリッと前を見つめている男の子は、怒り、悲しみ、責任感を秘めた表情にしたつもりですが・・・?
寺院にということで悲惨な戦後状況を表現するより、精神的なものを大事にしました。
( 家族・祈り )
識名園にて
( 世界遺産識名園 )
人形制作にあたり、図書館から沖縄の本を借りて見ているとき、
首里城に円覚寺があったという記事が・・・
「首里城に円覚寺? 琉球王朝時代に?」
鎌倉円覚寺とは何かの縁があったのだろうか?
これがもう一つの目的でした。
ありました!!首里城郭の下の方に円覚寺跡が、
総門が残っていて、琉球における臨済宗の総本山で王統の菩提寺であり
琉球随一の寺院だったそうです。
建築の手法は鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備えていたという。
やっぱり 鎌倉円覚寺と繋がっていた!!・・・
そこに一羽の鳥が飛んできた・・・何鳥?
( 円覚寺 )
( 首里城 )
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
沖縄本島は14世紀頃、北山、中山、南山の三大勢力がそれぞれ支配していたが、
中山の尚巴志が三山を統一 琉球王国が成立したという。
北部の今帰仁城跡を見学しながら、この度は、沖縄の歴史を巡りいろいろと感じた旅でした。
( 今帰仁城跡 )