カミングアウト・・抗癌剤治療中です
エチオピア全土での非常事態宣言が出された 11月4日の新聞記事を見た。
敵対する北部の反政府勢力が南下し 徐々に首都アディスアベバに迫っている模様だと。
次男はアディスアベバを拠点にして 北部にあるナイル河の源流
タナ湖近くにある大学(飛行機で1時間)に
半月位仕事で通っているらしいので、本当に心配していたところに、
反政府勢力9派が同盟を結び、同国政府は緊迫の度を増していて、在エチオピア米大使館は
自国民に退避を呼びかけたとの報道。
そういう折に、次男から「ジャイカから退避命令があった」
とメールが届き、4日後に成田に着いたと連絡あり、ホッと胸をなで下ろしました。
実は私 現在 抗ガン剤治療中です。
7月に乳がんの手術をしたのです。
甲状腺の経過観察で 6年位前から半年毎に医療センターに通っていたのに
今年6月に「乳腺、分泌外科」というのが始めて目に飛び込んできたのです。
いつも待ち時間が長く本や新聞を見ていて、それまで気が付かなかった。
その前夜、お風呂で何気なく触れてみたら ゴロッとするものを感じて
7月から始まるマンモグラフィの検診を受けようと思っていたところだったので
私の順番になった時「もしかして乳ガンなんて診てもらえますか?」と言うと
「エッ! 直ぐにマンモを撮ってきて下さい」と言われ、そして、そのマンモの影像を診られた
先生は「これなら大丈夫ですよ」「良かったです、安心しました」と私。
今迄通り、血液検査と甲状腺にエコーを当てて診て頂き
「甲状腺も変化無しで 大丈夫ですよ
今のところ、ついでにここも診ておきましょう」
と乳房にエコーを当てられたところ 黒い影が発見され 針生検査。直径1㎝でステージ1
マンモにも影らなかったのに ゴロッと手に触れたモノは勘違いだった。
意外にも それほどショックでもなく「エコーで見つけて頂きラッキーでした」
思わず出た言葉
2年後にマンモ検査で見つかったときは、もっと大きくなっていただろう、
転移していたかもしれない。
医大から 火曜日だけ出張で来られる先生で
その道の名医と言われる 鈴木先生なのだと後で知った。
「先生にお願いします。」医大に入院することになった。
そもそも どうして鈴木先生に診てもらうことになったのか 覚えていないほど
それは異常なかったのに「甲状腺の検査をしましょう」ということで経過観察となり、
この度の乳ガン発見に繋がった。
家族からは「あの健康おタクのおばあちゃんが?・・」と言われるほど、食事にも気を付け、
健康には自信があった。 自分でもガンにはならないだろうと思い込んでいたのに・・・
手術前のいろいろな検査でも転移無し、こうなったら「まな板の上の鯉」状態です。
早く退院して、私にはやらなきゃいけないことがある
これが、前向き思考 ポジティブでいられた理由 そして 夕方の回診時ごとに先生がポケットから
小さな折鶴を取り出し、そっと置いていかれる・・・嬉しい! 元気をもらいます。
でも退院して終りではなかった。
珍しいアポクリン癌 トリプルマイナスネガティブというタイプで抗癌剤治療をすることになったのです。
「私はポジティブな性格なのに、癌はネガティブだったんですね」なんて 初めは冗談を言ってたんだけど・・
でも早く見つかって良かった。考えてもいなかった抗癌剤治療も自然に受け入れた。副作用も比較的軽い方だと思う。
何よりも「今、どうしても作らなければならないものがある」という
目標があったことが大きな力になっていたと思う。
脳内モルヒネのエンドルフィンやドーパミン、セロトニン等が、夢中で制作しているときには出ていて
痛みを抑え ポジティブ思考になれているのだろうと思います。
それにしても あの時に見つかったのは 運が良かった。