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人形作家 安部朱美 Blog ~ 風のささやき

人形作家 安部朱美のオフィシャルブログです。人形のこと、企画展のこと、そしてささやかな日々の出来事を気まぐれに綴っています。

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人形創りはいつの頃からか、自分の内面を探る作業ではないかと思うようになりました。 語り過ぎず、創り過ぎず、余白を作っておきたい。 観て下さる方、それぞれの想いを重ねてもらって人形が完成すると思うから。
           安部朱美

驚き!目がくぎづけ

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沢山たまった 手紙を整理していたら、2015年にご逝去された 
作家 新山通江さんから頂いていたお便りに、目がくぎづけになった。

新山さんは「真説 淀屋辰五郎」の著書で
2003年に鳥取県出版文化賞を頂かれたことがある。
淀屋は、江戸時代、大阪の豪商だったけど幕府から蟄居させれらて、その娘と結婚した大番頭が、
倉吉で財産を築き、再び大阪で一旗揚げたという・・・。
新山さんは、ライフワークとして淀屋に取り組み、資料も集めておられた。
私を励まし、応援して下さって、お便りも数通いただいていた。

その中の一通に「宝鏡寺は、私にも浅からぬ縁があります。」とあり、驚いた。
光格天皇の皇女がこの寺のご門跡をされていたこと、光格天皇の幼い祐宮さま時代のこと、
御生母 いわしろさま、御祖母 りんに対する手厚い孝養と御遺言までされたという、
そんなことが書いてあったけど、手紙を頂いたときは意味が分からず
スルーしてしまっていた・・・が、今ならよく分かります。

119代光格天皇の御生母は、倉吉出身の 大江いわしろの君で、
光格天皇は仁徳もあり、民衆の敬意を集めた天皇だそうです。

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( 大江神社(倉吉市) )

昭和館の館長は、前 羽毛田宮内庁長官で平成23年(2011年)
平成天皇皇后両陛下が鳥取市での「全国豊かな海づくり大会」ご臨席の折に、
倉吉市にも行幸され、羽毛田長官もご一緒に来られたとお聴きしていた。
光格天皇は、生前譲位され、平成天皇は、それを範とされたといわれている。

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( 大江いわしろ君顕彰展冊子 )

このことを知った後に、新山さんからの手紙を再読し驚いた訳です。
淀屋と倉吉の いわしろ様のご実家とは、縁があったんだろうか?
新山さんのご生前に詳しくお聴きしとけばよかった・・・。

それにしても無知だった私にとって、円覚寺から始まり、春日大社の宮司さま・・・。
いろいろなことが宝鏡寺に繋がってきた。
このコロナ禍で、2年ほど宝鏡寺に参詣していません。

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今、迷路に入り込んでいます

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鑑真和上像は、袈裟のしわの出方、現代の袈裟のまとい方(曹洞宗)で作ると
元の和上像とはかけ離れてしまい・・・。
その兼ね合いを考えながら、鑑真和上が着ている褊襂(へんさん)の
右袖のしわはどうなっているのか、袈裟を着けた左袖は・・・。

結跏趺坐(けっかふざ)を組んでいるのに両ひざがこんなに開くのだろうか・・・。
お尻の下に座ぶを敷いて座った時と随分足の組み方が違う、
いつの時代から座ぶを使うようになったんだろう。
手の組み方も和上は左手が下になっているし、
親指が寝ているように見えるのは、遷化された後だからだろうか・・・。

さあ、出来たかな・・・と離れて客観的に見ると、アア・・・だめだあ・・・。
また、削り、やり直す。 この繰り返しで周りは白い削りカスばかり、今、迷路に入っています。
いつものことだけど・・・今までもよくありました。

早く脱出したい、今月でメドをつけたい・・・。
おまけに、「顔が若すぎない?」と友の言葉。
エー!これでいいと思っているんだけど・・・。
でも、本音で言ってくれる親友がいることに感謝しています。
二次元の写真を見ながら立体を作ることの難しさ・・・。

折から3月27日~5月16日 京都国立博物館で「鑑真和上と戒律のあゆみ」展が
開催され、国宝鑑真和上座像が唐招提寺から12年ぶりに寺外で公開されるという。
行って本物を見たいです。

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( 大山町 門野池の樹氷 )