「坐禅」同様、来秋からの常設展示に向けて縁あってお創りすることになった「尾形乾女さん」
琳派の巨匠、尾形光琳の弟で陶芸家、尾形乾山の系譜を引いた最後の一人で、日本画家であり陶芸家、北鎌倉で晩年の創作活動をされていた。
“鎌倉古陶美術館”(現古民家ミュージアム)が平成9年にオープンするまで、現・長谷川館長のお父上の窯場があり、高齢になった尾形奈美(乾女)さんの身を案じて敷地内に制作の場を提供し、寝食も共にしながら実の親子のように、晩年の数年間を過ごされたのだそうです。
バーナード・リーチや富本憲吉は、父・六世乾山のお弟子さんで、奈美さんを支え七世を継ぐことを薦めたのだけれど、自分は、乾山七世の名に値しないと、昭和44年、乾山名跡六世で完結を世に宣して、ご自身は女性ゆえ「乾女」と名乗られたという。
名のある系譜の中に身を置きながら、奢ることなく最後まで控えめで慎ましい暮らしを送られた奈美さん、温厚で優しく、まるで仏様のように慈愛に満ちた方だったそうです。
残っている写真は一枚しかないけど、資料を探し、こういった背景を知り、時間をかけてイメージを温め、膨らませ、座禅同様、心して創らせていただこうと肝に銘じました。
不思議なご縁に導かれるように・・・
実は、始めは同時代に生き、同じく北鎌倉に暮らしていらした女流画家を、創らせていただきたいと願っていた。
この事を長谷川館長に話した時、「親しくしておられた乾女さんも一緒に創ってもらえませんか。」と、7月、米子に帰る時に、本を二冊渡されたことから繋がった。
お二人とも、奢ることなく、温厚で優しいご性格、生き方は共通点があると感じています。
いつか、もう一人の女流作家も創らせて頂くご縁ができればと思っています。

日本橋三越本店で開催された尾形乾女作陶展図録

同図録掲載ページより抜粋
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新潟三越店、6日間でしたが多くの方が来て下さり、後半は1日1200名を超すご来場者数だったそうです。夏休みで、子供連れの若い方も多く、本当に有難うございました。感謝です!!
初日、会場でお会いした方たちのお声、そして感想ノートに書いてくださったメッセージ、何処の会場でもそうですが、私こそ、感動で大きな励みをいただきました。


新潟からの帰り、予定通り14日、北鎌倉へ、本当に感激しました。
帰ったら直ぐにこの感動をブログにと思いながら、孫たちが集合していて、恒例の、夏休み総仕上げの絵、工作等はおばあちゃん担当なもので・・・
不思議なご縁に導かれるように「坐禅する人」を創ることになり、円覚寺派管長の横田南嶺老師さまにお目にかかることになりました。
午前10時の約束で、15分前に少し緊張しながら待っていると、わざわざ、お迎えに来て下さった。気さくな中にも、含蓄あるお言葉でお話しされ、感銘を受けました。
その後で、これからの作品に少しでも役に立てばと、台所のかまどやら、つるべで汲まなくても年中裏山から湧き出る井戸なども見せていただき、国宝の屋根のこう配や軒のそりが美しい舎利殿を、ご案内下さった。
僧堂では今も雲水さんと共に、毎日、坐禅をされ、托鉢、作務もご一緒に行われ、まさに「精一杯生きる」を身を以て実践なさっているのだそうです。
ご著書「祈りの延命十句観音経」等を頂戴して帰る時、お見送り下さった雲水さん、何回、振り返っても深く頭を下げられたままでした。
そして、黄梅院副住職の内田一道さまには、12時半から在家の方に開放されてる禅道場「居士林」でお話を伺いました。
丁寧に教えて下さり、私も10分間だったけど坐禅をさせていただいた。
坐禅という形だけではなく、立ち居振る舞い全てが集約されるという。
単純に人形として表現できるものではないと禅の教えの深さ、そして改めて自分の甘さに気がついた。
こちらでも、管長さまのビデオ、法話集「いろはにほへと」等を頂戴して帰る時、何回、振り向いても内田副住職さまは、深くお辞儀をしたままお見送り下さいました。
この感動を、これから心して形にしなければ…。
そして、この日、もう一つの感動、古民家ミュージアムでの「尾形乾女」さんの話は、次回にして…。




8月12日(火)~8月17日(日)新潟三越百貨店で「24の瞳と昭和の家族~きずな」展をさせていただきます。
昭和の家族 - 56テーマ
24の瞳 - 5テーマ
計240体を展示します。
11日(月)1便の飛行機で行く予定にしていますが、近づいている台風11号の影響が心配です。
そして、その帰り、14日に鎌倉に寄ることになりました。
来秋、北鎌倉古民家ミュージアムで常設展示開始に当たって、鎌倉にゆかりある作品を創ることになり、これも又、不思議なご縁に導かれるように「尾形乾女」さんと「坐禅」を創ることになったのですが、14日に古民家ミュージアムの長谷川館長の父上(元館長)に乾女さんのことを、そして臨済宗円覚寺管長の南嶺老師さま(何と!!)と内田副住職さまにお時間をいただき、お話を伺うことになっています。
「坐禅」に至ったご縁を簡単にまとめてみると、
1) 昨年10月27日からの「24の瞳と昭和の家族~きずな」展のため、北鎌倉に行く前夜、ベルリンで坐禅道場を開いていらっしゃる米子出身の星覚さんが、本を出したのでと著書“座ればわかる”を持参して下さった。
2) 翌朝の飛行機内で読みながら禅の心に強く惹かれるものを感じた。
3) 鎌倉にゆかりあるものって何だろうと模索しているとき、古民家ミュージアムにご来場くださった横浜の方が「北鎌倉は禅寺の街で坐禅とか写経を目的に来られる人も多いですよ」と話された。
4) 長谷川館長にその話をすると「うちの子供たちも円覚寺内の幼稚園で坐禅をしていました。その親たちも子供のころからそうでしたよ」
5) 米子に帰ったら、星覚さんからメールが入っていた。
「ベルリンに帰る前に、円覚寺からお誘いがあり、行ってきました。」円覚寺の管長さんが駅(横浜?)の書店で“座ればわかる”をご覧になって、侍者の方に「この人知ってる?」と尋ねられ、
星覚さんにお声がかかったということで・・・
(円覚寺から200m位先の古民家ミュージアムで人形展を開催していることを、星覚さんには話してなかった)偶然にしては、なんということでしょうか!
6) そんな、こんなで「坐禅」を創ることになり、先日、米子のお寺(曹洞宗)で子供会の座禅教室を見学させて頂き、参考になったと思ったのも束の間、宗派によって坐禅の様式が違うことを、教えていただいた。
そして、ベルリンの星覚さんのご紹介で、円覚寺の管長さまにお会いできることになりました。
「尾形乾女」さんについては、又、次回に・・・・・

