骨だけには自信があったのに、骨量が同年代女性平均より減少していることが分かり慌ててしまった。人形制作に没頭し、ずっと座りっぱなしで運動不足が原因らしい。
それをきっかけに、早朝、歩くようになって数年になる。
凍てついた冬の横断歩道を渡りきったところで思いっきりスッテンコロリン、腰椎圧迫骨折したこともある。それも赤信号で止まっていた車列の前で・・・
そんなこともありながら、四季の移ろいを感じつつ、今も続けているけど・・・
いつも仲良くラジオ体操を続けておられるご夫婦や、それぞれ犬の散歩をされている方が数組、顔見知りになって挨拶を交わすのが楽しみとなった。
その中で、ラブラドールの愛称「ラブちゃん」12才。老人ホームで、ドッグセラピーとして一役買っている。
入居者さんに可愛がられ、おいしい物を頂いて、ちょっと肥満ぎみとか。
元飼い主の方が、毎朝老人ホームまで行って、やさしく話しかけながら散歩に連れて歩かれる。

この付近は、トンビがいやに多いと思っていたら、ある時、パンくずをその中の一羽めがけて、さっと投げられるのを見た。
お聞きすると、そのトンビは、尾は半分ちぎれ、羽も白くなりかけた老トンビらしく、「今日もいるかな?」と哀れみながら10年になるとおっしゃる。
それを撮らせてもらおうとカメラをポケットに忍ばせたけど、下手でうまくシャッターチャンスがつかめない。いつか、いい写真が撮れたら・・・
また、この方は、道端の空き缶とかゴミを拾って持ち帰られる、奇特な方です。

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「さんいんキラリ」春号を、奥田英範編集長が持ってきて下さった。
開口一番、「塩見さんが亡くなったんですよ! 三原まで通夜に行ってきました。」
奥田編集長も、まだ信じられないとおっしゃる。
先日の南部町の取材では、体調がお悪くて、日高むつみさんに変わったとお聞きしていた。
創刊10周年になるキラリ、ライターとして創刊当時から関わってこられ、私が取材でお会いしたのは2回だけど、塩見佐恵子さんの名を知ったのは、小説「津和野」を読んでから・・・。
そして、津和野に行ってみた。
骨髄異形成症候群という病名で白血病の一種だということで、昨夏から病に伏せっていらしたけど、この度の南部町取材を楽しみにしておられたという。
キラリ春号には、塩見さんの最後のエッセー“法勝寺「一式飾り」”が掲載されている。
そこには、キラリ連載の「あなたに会いたくて」を担当するようになって、どうしても取材しておきたかったのが、津和野と法勝寺(南部町)だと記されていた。
ご冥福をお祈りします。
その翌日、塩見さんを偲びながら、法勝寺のさくら祭り、一式飾りを見てきました。
中学生の作品も、なかなかの力作がありました。

皿一式で作ったキリン

皿一式で作ったユニコーン…

帯一式で作った宝船

膳一式で作った軍師官兵衛
次男夫婦が、ジャイカの仕事でケニアに発ってから、1ヶ月は過ぎました。
5歳の男児と1歳の女児を伴って、タジキスタンに3年間いて、昨年はジャイカ本部(東京)、
そして、この度、ケニアのナイロビに、何年いることになるでしょう。
大学生の時、シルクロードを旅したいと一人でリュックサックを背負い、ミニギター1つ持って・・・
敦煌からタクラマカン砂漠を通ってパキスタン、イラン、トルコ、シリア、イスラエル、エジブトからヨーロッパに。
今では紛争が起こり危険で、とても行けそうにない国が多いです。
この旅で息子の人生感が変わったのでしょう、国際貢献に役立つ道を選びました。
2月の誕生日にベイルートの漁港で「今日が僕の成人式だ」と思いながら夕日を見ていた時、現地の漁師さんに声をかけられて、家でご馳走になったということを手紙で知って、”いい旅をしているんだ――”と思ったのも束の間で。
こちらからは連絡しようが無く、どんなに心配していたことか。
帰ったきた時、「どうして行こうと思ったの?」と聞くと、「小さい頃に、お母さんがシルクロードの本をいつもテーブルの上に置いてたでしょう・・・。」
私のせいだったんだ!・・・言葉にならない・・・
当時の私は、シルクロードに興味を持ち、イメージを起こして人形を作っていたのです。
そのきっかけが、NHKの「シルクロード」を見たことからで、驚いたことに、人形展「昭和の家族~きずな」の会場に映されているDVDの撮影に来て下さったカメラマンの方が、NHKのOBの方で、その「シルクロード」を撮りに行かれたということです。
ご縁が、また、繋がりました。
おもしろいものですね、不思議。
こうして人形を作ってきて、多くの出会いがあり、学び感じ、分かりかけてきたこと、何か、根底でつながっているような気がしています。
こんなに離れていても、幸いに今はスカイプで話せるし、様子がよく分かります。
言葉は通じなくても、孫たちに遊ぶ友だちができたようです。

