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人形作家 安部朱美 Blog ~ 風のささやき

人形作家 安部朱美のオフィシャルブログです。人形のこと、企画展のこと、そしてささやかな日々の出来事を気まぐれに綴っています。

Message

人形創りはいつの頃からか、自分の内面を探る作業ではないかと思うようになりました。 語り過ぎず、創り過ぎず、余白を作っておきたい。 観て下さる方、それぞれの想いを重ねてもらって人形が完成すると思うから。
           安部朱美

坂内義雄氏胸像の御祈祷式

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11月26日、「いい風呂の日」でもあり、皆生温泉 中興の祖といわれる 坂内義雄氏の命日
皆生温泉観光(株)OUランド 坂内義雄氏 胸像の前で御祈祷式があり、参列しました。

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( 御祈祷式 )

今の社長 坂内和孝氏のご祖父で
昭和初期、皆生海岸の浸食が進み暴風雨のたびに波浪浸食があり、
源泉や温泉設備が流出し、皆生温泉の湯元としての会社経営が行き詰まった時、
窮地にあった皆生温泉から要請を受け、私財を投じて温泉の灯を守られた方です。

京都に在住で 日本証券、京都新聞など数々の企業の社長、会長などの要職に就かれ 
多方面に顔が広く、温厚で寛容な人格者だったそうです。

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( 坂内義雄氏胸像  )

皆生温泉観光(株)100周年に、ご依頼を受け3年前に製作しました。
湿度がある場所で、青さびの出方を心配していましたが、
まず、この程度ならいいかな・・・。

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SPA&HOTEL「舞浜ユーラシア」の人形展示入替え

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常設展示している千葉県浦安にあるディズニーランド近くの
SPA&HOTEL「舞浜ユーラシア」の人形展示入替えに行ってきました。
前回は、2月に展示替えしたのだけど、来年2月から愛知県安城市歴史博物館での
「昭和の家族」人形展に出すために入替えしました。

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( 新規展示 )

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( 前回展示 )

「安部さんの人形を目当てに来られるグループもおられますよ」とホテルの方。 
嬉しい、有難いことです。
置く位置、照明など少しのことで随分変わって見えるので、4作品だけど思わず力が入りました。
舞浜駅とホテルを結ぶバスがあり、所要時間は7分位。
ディズニーランドの入り口付近までは、その都度行くのですが、
中に入ってみようとは思わないのです。
孫たちがいたら別ですが・・・

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新作「兄ちゃんが守ってやる」

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大地震や温暖化による気候変動、異常気象で自然環境が破壊され
かってない甚大な災害が、地球規模で起きています。
そして、ウクライナでの戦争は終りが見えず、イスラエルとパレスチナでも戦争激化、
世界各国で紛争、クーデターが起き難民は増え続けています。

生命、平和の尊さをテーマに表現したいと思い取り組んだ
「兄ちゃんが守ってやる」

終戦直後に原爆が落とされた長崎で、死んだ弟を背負い、歯を食いしばりながら
焼場で順番を待っている、少年の写真が発想のヒントとなりました。

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製作中に加納美術館で開催された「四國五郎展」
広島県出身の画家・詩人で先の大戦で満州に出征、
終戦後ソ連の捕虜となりシベリアに抑留された。
帰国した四國を待っていたのは、変わり果てた広島の姿と弟の原爆死だった。

戦後一貫して平和のために、絵や詩を作り続けた四國さんの絵を鑑賞しているうちに、
製作中の「兄ちゃんが守ってやる」と世界観がリンクして、
何とも言えない気持ちになりました。

先進国、新興国、発展途上国、
誰も置き去りにすることのない世界にならないものか。
この地球は、私たちの運命共同体なのです。

彼岸花に想う

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今年、9月29日 自宅から撮った大山と 満月と重なった仲秋の名月。

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次回、満月と重なるのは 7年後の2030年らしいです。
今年の彼岸花は、酷い猛暑のせいで開花が遅れ、
あちこちの草むらに赤い群生を見るようになったのは 彼岸の中日を過ぎた頃
そして10月に入ると、少しずつ色褪せていつの間にか消えていきました。
なんと 儚い花期なのでしょう。

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埼玉県日高市で人形展をした時に見た 巾着田の雑木林に群生する彼岸花は 美しく忘れられません。
この時期になると思い出す!

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10月29日(日) 
境港市文化ホール(シンフォニーガーデン)で「和の玉手箱」に人形を賛助出展します。
新作、「慈 愛」「兄ちゃんが守ってやる」も出す予定です。

宮崎日向市からお客さん

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先日、宮崎県日向市から来られたお二人、
2012年以来、4回目のご来訪です。
NPO法人「絆の黄色いハンカチ」~山田洋次映画監督のご賛同を得て、
東日本大震災の復興支援で東北各地でボランティア活動され、
現在も交流を続けられている 則貞さんと三堀さん。

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最初の出会いは、山形県米沢市の上杉博物館で 人形展「昭和の家族~絆」の
サイン会場で「サインをしてください」と出された
「絆」と書かれた黄色いTシャツに何気なくサインをしたことからだった。

その後、京都清水寺の森清範貫主が揮毫された「絆」、名球会の王貞治氏、
タレントの萩本欣一氏の応援メッセージと一緒に私の人形の写真が
復興支援活動に一役かったということがありました。

2015年には、日向市で「森清範貫主 文化講演会」があり、
私共夫婦も一緒に招待いただいた。
日本最古の巡礼所、西国三十三所草創1300年を記念して、
信州善光寺や比叡山延暦寺も含めご縁のできたお寺に
6年位前から「西国三十三所御詠歌版画」等を奉納してまわられたそうです。

この後、奈良 春日大社に参詣、奉納される予定で その途中我家に立ち寄られた
数あるご縁が繋がってきた そのひとつです。

フィリピンへ友好の旅

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フィリピンの刑務所に収容されていた 105名の日本人戦犯赦免70周年の記念式典に
マニラにある日本大使館から招待状が届き、7月11日~15日、フィリピンに行ってきました。
安来市出身の画家 加納莞蕾は「赦し難きを赦す」の平和への願いを込め、
キリノ大統領に大量の書簡を送って恩赦実現に大きな貢献をした。

キリノ大統領は、日本兵に妻子4人の命を奪われたにもかかわらず特赦を出し戦犯を釈放した。
以前、加納美術館で私の人形展を2回開催して頂いたご縁で、
キリノ大統領の殺された妻子4人が天使になった像「平和への祈りーアリシアと3人の愛児たち」
モンテンルパ博物館に平和と友好のシンボルとして常設されている。

ということで招待状が届き、
莞蕾の四女で加納美術館名誉館長の加世子さんご夫妻に私共夫婦が同行することに。


12日、キリノ財団代表で弁護士のアレリさん宅でランチにご招待いただいた。
越川駐比日本国大使もご出席。

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( アレリさん宅でランチ )

13日、キリノ大統領が埋葬されている英雄墓地で比国軍儀仗兵の指揮の下、
雨の中、花輪贈呈の儀式が執り行われた。
晴ならレッドカーペット上を歩く筈でした・・・。
大使ご夫妻、国際協力機構比事務所長、マニラ日本人会会長(比住友商事社長)、
比日本商工会議所(丸紅比社長)など比日本人社会代表者20組が献花、
現在の友好関係の礎となった70年前の「奇跡の赦し」に敬意と感謝の誠を捧げた。

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( 献 花 )

記念式典は、比日本大使館、モンテンルパ市、キリノ財団が共同で開催、
日本人戦犯が収監されていた刑務所のあるモンテンルパ市のモンテンルパ博物館であった。

キリノ財団代表アレリ弁護士(キリノ元大統領のめい)は特赦を与えたキリノ大統領の談話を紹介、
そして、この赦しの決断はキリノ大統領が世界平和の基であると信じる
博愛の情を世界の人々に呼び起こすよう祈りを込めたものだったと説明。

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( 記念式典 【アレリさん】 )

莞蕾の娘、加世子さんも映像を映しながら30分の講演、
キリノ大統領に送った手紙の中「平和は『目には目を』では達成しえず
『赦し難きを赦す』という奇跡を持ってのみ、人類は恒久の平和を手にする」とつづり、
永久の平和に導く方法としての恩赦を訴えた・・・。

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( 記念式典 【加世子さん】 )

越川大使は「比国民の多くが強い反日感情を抱いていた時期に、自身の家族も命を奪われたキリノ大統領が、
恩赦の決断に至るまでの葛藤は言葉では言い表せない、厳しい批判にもかかわらず、
恨みと報復より平和と赦しの道を選んだ傑出した人物」とたたえ
「この歴史的な恩赦は比日国交正常化に向かう大きな契機となった」と深い感謝の念を表した。
( マニラ新聞より一部抜粋 )

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( 記念式典 【越川大使】 )

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その後、大使公邸へご招待いただいた。
ひどい渋滞の中、パトカーに先導されながら大使公用車の後をついて行った。

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( 大使公邸 )

14日、日本人学校で加世子さん講演。小学6年生と中学生
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( 日本人学校 )

滞在中、マニラ新聞のサワダさんが車を手配、通訳、案内してくださった。
朝日新聞東京本社の記者、地元テレビ局の元カメラマンの方も、チームとして一緒に行動しました。

宝鏡寺に「母ちゃん読んで」小型版を奉納

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6月13日、宝鏡寺門跡(京都市)に「母ちゃん読んで」の小型版を奉納させていただきました。

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( 宝鏡寺ー御門 )

昨秋、宝鏡寺に参詣した際に、
御門跡 田中恵厚尼が「訪れた方にお話しするのに、小型版でもあれば」と言われ、
制作したのですが、人形作家としての今があるその原点となった宝鏡寺との貴重なご縁に感謝を込めて仕上げました。

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( 宝鏡寺ー奉納)

代々皇女が住寺された宝鏡寺、所蔵してあった皇室ゆかりの人形展を創設し、
一度だけの50周年記念公募展を企画された先々代門跡 花山院慈薫尼は
春日大社(奈良)の花山院弘匡宮司の叔母様なのだと。

大山開山1300年祭(2018年)に偶然隣に居合わせ、お聴きして びっくり!!

・上皇さまが譲位の範とされた光格天皇の御生母は鳥取県倉吉市のご出身 
 御所から拝領された 光格天皇勅作による阿弥陀堂にご案内くださり驚く

・鎌倉 円覚寺とのご縁がつながった 2015年(「坐禅」人形制作により)
 無外如大尼の生誕800年に当たるのが今年

そんな不思議な巡り合わせ たくさんのご縁が繋がってこの度の奉納となり
御本尊を御開帳の上 本堂仏前で礼拝してくださいました。
畏れ多くも内陣に入らせていただき 鎌倉時代 無外如大尼(円覚寺開山の無学祖元禅師に帰依)
によって開かれた最高峰の景愛寺の法灯を受け継いで、筆頭の大聖寺に次ぐ宝鏡寺は、格式高い尼門跡寺院だそうです。 

翌日、無外如大尼の生誕800年記念の企画展が相国寺承天閣美術館であり行ってきました。

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( 相国寺 )

「禅寺に伝わるものがたり」として 如大尼の時代から近世に至るまでの
女性と仏教のかかわりを探る展示となっています。

宝鏡寺門跡の菩提所となった真如寺は 金閣寺、銀閣寺と共に相国寺の山外塔頭だそうです。

沖縄で

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4月25日から3泊4日で広島空港から沖縄に行ってきました。
人形「家族・祈り」を依頼主の池田さんご夫妻(鎌倉在中)と琉球識名院で待ち合わせご案内いただいた。

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( 琉球識名院 )

岐阜に本坊がある500年の法灯を受け継ぐ無量寿山光明寺の
前住職が50年以上前に沖縄を巡礼し、各地の慰霊碑で戦没者の追悼を行った。
その際に糸満市にある最も数多くの無名の方々が眠られている
「魂魄(こんぱく)の塔」で沖縄戦の様子や地元の方々の思いを聞き 
「いつか、この地に無念にも命を落とされた戦没者を弔い
仏教の教えを伝えるための拠点となる寺院を建立したい」との想いを持たれたそうです。

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( 魂魄の碑  )

琉球王家最大の別邸がある世界遺産「識名園」の正面に位置し
沖縄で最大級の木造建築寺院で、本堂には樹齢1000年を超えるカナダ檜を使用した
18本の大柱が支え、梁や内柱のない天井垂木構造だそうです。

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( 琉球識名院 )

「家族・祈り」は有難いことに、その本堂に設置されていて、
副住職が「浄土真宗の教義にも ふさわしい人形だと思います。」と言って下さったそうです。
制作にあたって、7人それぞれに役割の分担を持たせ、
キリッと前を見つめている男の子は、怒り、悲しみ、責任感を秘めた表情にしたつもりですが・・・?

寺院にということで悲惨な戦後状況を表現するより、精神的なものを大事にしました。

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( 家族・祈り )

   識名園にて

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( 世界遺産識名園 )

人形制作にあたり、図書館から沖縄の本を借りて見ているとき、
首里城に円覚寺があったという記事が・・・

「首里城に円覚寺? 琉球王朝時代に?」

鎌倉円覚寺とは何かの縁があったのだろうか?
これがもう一つの目的でした。
ありました!!首里城郭の下の方に円覚寺跡が、
総門が残っていて、琉球における臨済宗の総本山で王統の菩提寺であり
琉球随一の寺院だったそうです。
建築の手法は鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備えていたという。

やっぱり 鎌倉円覚寺と繋がっていた!!・・・

そこに一羽の鳥が飛んできた・・・何鳥?

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( 円覚寺 )

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( 首里城 )


   今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

沖縄本島は14世紀頃、北山、中山、南山の三大勢力がそれぞれ支配していたが、
中山の尚巴志が三山を統一 琉球王国が成立したという。

北部の今帰仁城跡を見学しながら、この度は、沖縄の歴史を巡りいろいろと感じた旅でした。

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( 今帰仁城跡 )

寛次郎ゆかりの松源寺でお雛祭り

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安来市の松源寺で恒例のお雛祭りがあり、車尾
梅翁寺の倉瀧さんと行ってきました。

二階の大広間いっぱいに、毎年 3月上旬~4月末まで工夫を凝らして展示されます。

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ご依頼をいただき、昨年私が制作した立ち雛もありました。
和紙を何枚も重ねて仕上げたものです。

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松源氏は、陶工河井寛次郎の菩提寺でした。
京都にお墓を移された跡地に京都の河井寛次郎記念館の庭に置いてある丸石と
同じ大根島の石で記念碑が建っています。

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勿論、寛次郎の作品はたくさん所蔵されていて奥様の手作りのお菓子や
素敵な器でおもてなしをいただきながら、一部を拝見させて頂きました。
中期以降の作品には銘を入れなかったけど 初期の作品には銘が入っています。

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独特な高台は直系の敏孝さんしか作れないそうです。

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90才になられる東堂様は一昨年まで、静岡県にある
家康公ゆかりの名刹 秋葉総本殿可睡斎の57世斎主だった方です。

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昨秋、京都五条坂にある「河井寛次郎記念館」を訪ね、
木の温もりが感じられる重厚感ある佇まい
寛次郎が設計し暮らした家

実際使っていた登り窯

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「キナルなんぶ」で展示替え

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南部町の「キナルなんぶ」で 一部展示替えをしました。

「流しびな」
鳥取市用瀬町に伝わる春の風物詩
さん俵に一対の紙びな、お供え、一輪の花を添えて川に流す、
古くから伝えられてきた 雅やかな風習
やわらかな春の日差しを感じさせる 淡い色合いの和紙で仕上げました。

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 ( 流しびな )

「駄菓子屋」
駄菓子や玩具を商いし、子どもたちの集会場であり楽園でもあった
買ったばかりのお菓子を その場で口に入れる 楽しさといったら・・
米子に一軒だけ残る岡本一銭屋を取材、その前で人形の写真も撮らせて頂いた。

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 ( 駄菓子屋 )

図書コーナーも、一ケ所替えて 「しょうぎ」「ギッコンバッタン」

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 ( しょうぎ )

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 ( ギッコンバッタン )

沖縄に送った「家族・祈り」は
光明寺 琉球識名院 琉球御廟の本堂に置かれたと聞いています。
4月末に沖縄に行き、ご案内いただく予定です。

今は、ご縁ある京都 宝鏡寺門跡で、2007年 大賞を頂いた
「母ちゃんよんで」の小型版を制作中です。
当時より 技術的には向上している筈なのに、同じものを作るのは難しく
四苦八苦しています。