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人形作家 安部朱美 Blog ~ 風のささやき

人形作家 安部朱美のオフィシャルブログです。人形のこと、企画展のこと、そしてささやかな日々の出来事を気まぐれに綴っています。

Message

人形創りはいつの頃からか、自分の内面を探る作業ではないかと思うようになりました。 語り過ぎず、創り過ぎず、余白を作っておきたい。 観て下さる方、それぞれの想いを重ねてもらって人形が完成すると思うから。
          ―― 安部朱美

うっかり風邪をひいてしまった

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8月から始まった抗ガン剤治療は、11月から2クール目に入り、
毎週1回を4ヶ月、2月まで続くのですが、恐れていたほどの副作用は少なく
意外と軽い方だと油断し過ぎて、風邪をひいてしまいました。
何時もなら 直ぐに治るはずの軽い風邪でも喉が痛く、鼻水、咳が酷くなり
翌週の抗ガン剤治療ができなくなってしまった。

それもその筈、骨髄抑制、白血球や好中菌等が減少して、
感染症にかかり易いから、気を付けるようにとのことだったのに・・・。
血液検査は正直で、他にもいろいろな数値が上下している。
ガン細胞を薬物療法でやっつけるということは、正常な細胞にも大きな
ダメージがあるということで、当然、脱毛もとっくに受け入れて、
今は、ウイッグや数枚の帽子とマスクで変身生活中です。

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OUランドに胸像設置

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皆生温泉観光 創立100周年記念としてご依頼を受けて制作した 
坂内義雄氏の胸像が、命日である11月26日に「OUランド」に設置されました。

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現社長 坂内和孝氏はそのお孫さんで、3歳の時 1960年11月26日に他界された。
関西財界の重鎮だった 坂内氏は昭和初期 不況や自然災害で窮地にあった
皆生温泉から要請を受け、私財を投じて皆生温泉発展の礎を築かれた。

今は、2尊目の「鑑真和上」を制作中です。
6月に山形県酒田市の光傳寺さんに「鑑真和上」像はお届けしたのですが、
ご友人である遊佐町の長泉院さんにもご依頼をいただいていて、
鑑真和上という高僧の深い精神性を思い出しながら取り組んでいるところです。

キナルなんぶの常設展示を展示替え

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南部町に 今年5月にできた複合施設〈キナルなんぶ〉ふれあい館の常設展示を、
この度、一部展示替えしました。

「女性三代・機の音」を「もちつき」に、
「かあちゃん 読んで」「おうまさん」を「新しい家族誕生」に、
そして 図書館コーナーの「生きるーいのち」を「ばあちゃん三人寄れば」に展示替えしました。

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来年、令和4年4月28日から7月3日まで 
鳥取県智頭町 国指定重要文化財〔石谷家住宅〕で人形展をすることになりましたので、
今度は、4月に展示替えをする予定です。

カミングアウト・・抗癌剤治療中です

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エチオピア全土での非常事態宣言が出された 11月4日の新聞記事を見た。
敵対する北部の反政府勢力が南下し 徐々に首都アディスアベバに迫っている模様だと。

次男はアディスアベバを拠点にして 北部にあるナイル河の源流
タナ湖近くにある大学(飛行機で1時間)に
半月位仕事で通っているらしいので、本当に心配していたところに、
反政府勢力9派が同盟を結び、同国政府は緊迫の度を増していて、在エチオピア米大使館は
自国民に退避を呼びかけたとの報道。
そういう折に、次男から「ジャイカから退避命令があった」
とメールが届き、4日後に成田に着いたと連絡あり、ホッと胸をなで下ろしました。

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実は私 現在 抗ガン剤治療中です。
7月に乳がんの手術をしたのです。
甲状腺の経過観察で 6年位前から半年毎に医療センターに通っていたのに 
今年6月に「乳腺、分泌外科」というのが始めて目に飛び込んできたのです。
いつも待ち時間が長く本や新聞を見ていて、それまで気が付かなかった。
その前夜、お風呂で何気なく触れてみたら ゴロッとするものを感じて 
7月から始まるマンモグラフィの検診を受けようと思っていたところだったので 
私の順番になった時「もしかして乳ガンなんて診てもらえますか?」と言うと 
「エッ! 直ぐにマンモを撮ってきて下さい」と言われ、そして、そのマンモの影像を診られた
先生は「これなら大丈夫ですよ」「良かったです、安心しました」と私。 

今迄通り、血液検査と甲状腺にエコーを当てて診て頂き
「甲状腺も変化無しで 大丈夫ですよ
今のところ、ついでにここも診ておきましょう」
と乳房にエコーを当てられたところ 黒い影が発見され 針生検査。直径1㎝でステージ1 

マンモにも影らなかったのに ゴロッと手に触れたモノは勘違いだった。

意外にも それほどショックでもなく「エコーで見つけて頂きラッキーでした」

思わず出た言葉
2年後にマンモ検査で見つかったときは、もっと大きくなっていただろう、
転移していたかもしれない。

医大から 火曜日だけ出張で来られる先生で
その道の名医と言われる 鈴木先生なのだと後で知った。
「先生にお願いします。」医大に入院することになった。

そもそも どうして鈴木先生に診てもらうことになったのか 覚えていないほど 
それは異常なかったのに「甲状腺の検査をしましょう」ということで経過観察となり、
この度の乳ガン発見に繋がった。

家族からは「あの健康おタクのおばあちゃんが?・・」と言われるほど、食事にも気を付け、
健康には自信があった。 自分でもガンにはならないだろうと思い込んでいたのに・・・
手術前のいろいろな検査でも転移無し、こうなったら「まな板の上の鯉」状態です。

早く退院して、私にはやらなきゃいけないことがある
これが、前向き思考 ポジティブでいられた理由 そして 夕方の回診時ごとに先生がポケットから
小さな折鶴を取り出し、そっと置いていかれる・・・嬉しい! 元気をもらいます。

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でも退院して終りではなかった。

珍しいアポクリン癌 トリプルマイナスネガティブというタイプで抗癌剤治療をすることになったのです。
「私はポジティブな性格なのに、癌はネガティブだったんですね」なんて 初めは冗談を言ってたんだけど・・

でも早く見つかって良かった。考えてもいなかった抗癌剤治療も自然に受け入れた。副作用も比較的軽い方だと思う。

何よりも「今、どうしても作らなければならないものがある」という
目標があったことが大きな力になっていたと思う。
脳内モルヒネのエンドルフィンやドーパミン、セロトニン等が、夢中で制作しているときには出ていて 
痛みを抑え ポジティブ思考になれているのだろうと思います。

それにしても あの時に見つかったのは 運が良かった。

坂内義雄氏の胸像完成

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取り組んでいた 坂内義雄さんの胸像(70㎝)が完成しました。

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それまで皆生温泉を企画・開発されていた有本さんに変わって 
昭和9年に京都財界の有力者 坂内義雄さんが依頼を受けて
皆生温泉土地(株)社長となられ、今の皆生温泉を築かれたという。

明治生まれの坂内さんは、文化、観光、報道、経済、スポーツをはじめ、
社会事業、趣味の会に至るまで 官財界にも交友関係が広く、多くの人の尊敬と信頼を
一身に集められ、九州電力(九州電気)、関西電力、日本証券、日本繊維工業、京都新聞、
関西テレビ、日本テレビ、全日本観光連盟等多方面で活躍されたのだという。

しょっちゅう 九州方面、東京方面に移動されるので、中間どころの京都(永観堂)に住居があり、

 「正直であれ、ウソをつくな」

 「誠実に、陰日向なく働け」

 「悪いやつがいても、くよくよするな、自分が正しくやっていれば、悪い者は必ず自滅する。自然の理なんだ」

人には上下のへだてなく、親切で相手の身になって考える人だったといいます。

制作に取り掛かるとき、その時代背景や性格等を調べてから、そのイメージを作り上げていく
ことが多いのですが、この度は「坂内義雄の生涯」という本を読んで分かったことです。

こんな 立派な方がいらしたんだと・・少しでも坂内さんの人格、慈愛に満ちたまなざし、
威厳が表現できればと思いながら・・・何しろ一枚の写真から立体に起こすのは難しかった。

最後の仕上げは「サビカラー」で金属風仕上げにしましたが、
温度、湿度の関係で、随分、違ってくるので天気予報とにらめっこしながら・・・。
20年振りに使ったので勘がにぶり、早く拭き過ぎて、光ってしまったかな・・・。

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11月26日が坂内義雄さんの命日で、法要があり、皆生温泉観光(株)設立100周年と
いうことで、皆生温泉のOUランド内に事務所があり、OUランドに常設される予定です。

淀江傘継承200年展

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淀江傘継承200年展」が 淀江町の「傘伝承館」で始まった。

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10月30日オープニングセレモニーがあり、白鳳高校生による ”淀江さんこ節” や
傘踊りを披露、11月13日まで色とりどりの淀江傘約100本が
幻想的にライトアップされ、館内を彩っています。

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それに先だって10月20日~25日米子天満屋で250本の傘が展示されました。

昭和館巡回特別企画展

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「くらしにみる昭和の時代」島根展が松江テルサホールで始まりました。
10月29日~11月7日

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昭和館は、戦中・戦後に国民が経験した労苦を後世代に伝えるため、
昭和10年代から30年代までの歴史的資料を収集、保存、展示する国の施設です。

実物資料を活用した展覧会を全国各地で開催してほしいという要望を受けて、
2001年から巡回特別企画展が実施され 昨年は鳥取博物館でありました。
その折に、依頼を受けて作った「千人針」と「くつみがきの少年」が島根展でも展示されました。

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特別展示として、島根県出身の永井隆と加納莞蕾が取り上げられ、
加納佳世子さんの証言映像(オーラルヒストリー)も上映されています。 

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淀江傘の人形完成

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海外から一時帰国する邦人を対象にコロナのワクチンを接種できることが決まり、
エチオピアに行っていた次男が8月1日に帰国、2週間のホテル自粛生活後、
10日間ほど家族と過ごし、27日に成田空港で2回目のワクチン接種を受けた後、
又、エチオピアに経って行きました。
長い飛行時間、機内で副作用はどうだったんだろうとか心配しましたが、
無事に着いたと連絡があり、ひとまずホットしました。

取り組んでいた 淀江傘の人形が完成しました。
今年が 淀江傘200年記念ということで、10月から
記念イベントが相次いで行われる予定です。

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そして、今、制作しているのは、この人のご尽力があったからこそ
今の皆生温泉開発に繋がったという 坂内義雄さんの胸像です。
皆生温泉観光(株)の元社長で、亡くなられて60年になるとか、
「坂内義雄の生涯」という本を読むと、ご自宅は 京都市永観堂にあり、

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その活動の領域は非常に広く、
九州電力、関西電力等の電力業界、国際文化協会、全日本観光連盟、京都放送、関西テレビ等の
取締役や会長をされ、多方面に顔が広く数えきれない功績を残されたそうで、
温厚で寛容な人格者で生涯を人のため、社会のために尽くされたということです。

1960年に69歳で急逝された後にその業績を讃えた多くの人の追悼録を読んで、
こんな方がいらっしゃたんだと感動すると同時に、大変なことを受けてしまった。
たった一枚の写真から、立体に起こし、
坂内義雄さんという人格がどこまで表現できるのだろうか・・・
難しいことだけど取り組んでいます。

ああ!! 全てが繋がっていた

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次男がエチオピアに、JICAの専門家という立場で行ってから4ヶ月経ちます。

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( ナイル川の源流 )

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( 農村の風景 )

以前はタジキスタンに3年、ケニアに3年、この度はコロナがウィルス感染が
拡大している中、家族を日本に残して単身赴任で、仕事の内容はよく知らないけど
砂漠緑化(?) 温暖化防止 地球環境に関わる仕事のようです。

3月までは 3年間環境省の仕事もしていました。
大学在学中に、バックパッカーで中国からシルクロードを通り、ネパール、イラン、トルコ、
シリア、イスラエル、エジプトからヨーロッパに渡り、1年間放浪の旅をしたことがありました。

時折、届く便りで ~元気にしているんだ~ と分かりホッとする位で 
こちらからは連絡が取れないし、本当に心配してたけど・・・
旅で出会った人々 その1年間の旅で次男の人生観が変わったようです。
あの時通った 新疆ウイグル自治区は中国共産党のひどい迫害を受けているし、
羊飼いの人々と仲良くなったシリアも 大変なことになってしまった。

そもそも 35年以上前に私がシルクロードに関心を持ち、関連する本をテーブル上に
置いていたことから、次男も興味を持つようになったんだと、ず~と後になってから知った。
小学生低学年の時に・・・・・

バックパッカーとして旅立ち、敦煌から始めて届いたポストカード
「え~、こんな仏像があるんだ!」と調べてみたら、
莫高窟 45屈の唐時代に作られた 塑造で釈迦十大弟子の阿難陀像だった。
思えば 宗教、仏像というものに全く無知、無関心の私が、
ちょっと調べてみようと思ったのは、この時が始めてだった。
そして、この後に阿難陀像を制作 1998年この像は 長崎に行きました。

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それから 20年・・・
宝鏡寺門跡から始まり たくさんのお寺さんと不思議なご縁で繋がった。
文殊菩薩 御輿行幸の大智明権現(大山開山1300年祭)
皆生のお薬師さま(皆生温泉開湯100年祭) 鑑真和上と創らせていただいた。

 ーエチオピアで武力衝突があり100人死亡ー

どんな小さな新聞記事でも目につきます。
世界のあちこちで紛争は絶え間なくあり 多くの人が死亡し 難民も増えています。 

鑑真和上像

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3年も前にご依頼をいただいた「鑑真和上像」を、
山形県 酒田市の 光傳寺さんにようやく送りました。
加納美術館で2回目の人形特別展を企画して下さった時に出した
座禅」人形をご覧いただいて、鑑真和上像をお願いしたい」という、
ご丁寧な8枚ものお手紙をいただいたのです。

「私などがとても・・・」とお断りするつもりで
お電話で話している折に、作業机の前に、
私が何気なく留めていた写真が、鑑真像だったんだと気付き、
しかも、数枚重ねていた仏像の一番上に・・・
これも、何かのご縁だろうと、お受けすることになった。

そもそも、人形を創るようになってから40年になるが、
不思議なご縁が沢山あり、それが次のご縁に繋がって、
未知のことを学ばせてもらい道も開けてきたと感じていました。

「座禅」人形も、まさに不思議なご縁が歯車のごとく噛み合って 
創ることになり、鎌倉の臨済宗大本山円覚寺に奉納させて頂いたんだけど、
円覚寺管長 横田南嶺老師が、加納莞蕾とキリノ大統領の平和思想に
感銘を受けられて、お借りすることになったのです。

改めて 忘れていた歴史を紐解き、
鑑真和上の来歴を調べたりしながら創っていくうちに、
乱れた日本の仏教界を正すためとはいえ、
失明しながらも6度目の挑戦で日本に来られた。
その精神性の深さ、強さと共に温かい慈悲と豊かな包容力、信念・・
そういったものが、唐招提寺の和上像には確かに表現されていると、
写真を何枚も見ているうちに思った。

見ているようで、それまで見えなかったものが徐々に見えてきて、
眉間、まぶた、頬、口元、あご等の微妙な違い、
写真を撮られた時の照明でも少しずつ違って見える、
やり直し、削っては付けての繰り返しでした。

鑑真が、袈裟の作り方を日本に伝えたということで、
唐招提寺の和上像も袈裟を纏っていらっしゃるのだそうです。

光傳寺さんは「お袈裟縫製の会」を続けておられ、
5年かけて地元のご婦人に手伝っていただき、
完成した袈裟を身につけて仏事をお勤めされてるとのことで、
写真も同封されていて、和上像に、
そのお手製の袈裟を纏わせてほしいとのことでした。

1300年位も前のことで、材質の違いからか、
しわの出方が随分と違う、纏い方も違う。
その融合性を見つけようと苦労し、
鑑真和上は座禅を組みながら遷化されたそうで、
親指が倒れたように見えるのは亡くなられた後だから?・・・

手は今の組み方にしました。(光傳寺さんとご相談して )
そして 経年劣化の表現はしなくても良いとのことでした。

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写真メールで「感激です、一緒に座禅させて頂きます。」と喜んで頂きましたが、
私などが鑑真和上像を創らせて頂くとは、
自分の能力を遙かに超える畏れ多いことだったと思い知りました。
でも、鑑真という高僧の精神に少しでも
触れることができたような気がしたのは幸せなことでした。