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人形作家 安部朱美 Blog ~ 風のささやき

人形作家 安部朱美のオフィシャルブログです。人形のこと、企画展のこと、そしてささやかな日々の出来事を気まぐれに綴っています。

Message

人形創りはいつの頃からか、自分の内面を探る作業ではないかと思うようになりました。 語り過ぎず、創り過ぎず、余白を作っておきたい。 観て下さる方、それぞれの想いを重ねてもらって人形が完成すると思うから。
           安部朱美

「家族~祈り」が完成!~沖縄へ

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昨年から手掛けていた 「家族~祈り」が完成!
沖縄のお寺 光明寺の沖縄別院、琉球識名院に送りました。

無量寿山光明寺は500年以上の歴史を持ち、
本坊は岐阜にあり、新宿瑠璃光院白蓮華堂や、京都瑠璃光院など9ヶ寺があるそうです。

その光明寺の僧侶 池田さんからのご依頼で制作することになり、
十数年前、北鎌倉古民家ミュージアムでの人形展をご覧になって以来のご縁で、
亡くされた ご長男の23回忌に当たり、お世話になった前住職が、
多くの悲惨な戦争犠牲者が出た沖縄の地に、是非とも光明寺沖縄別院を建立したいと
50年も前からの念願で実現した 琉球識名院に奉納させて頂くということで、心を込めて作りました。

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( 琉球識名院 )

制作に当たり、何時ものことだけど、
図書館から沖縄関係の本を15冊位借りて琉球王朝時代から、
戦中、戦後の様子など写真、文章、絵とザーッと走り読みだったけど、
自分の中に落とし込んで、イメージをつくってきました。

祖母、母、子どもたち、それぞれの表情、仕草に意味を持たせようと
結局7人になりました。
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( 家族・祈り )

悲惨な戦争で 犠牲になられた多くの方々の
鎮魂の思いを込め
二度と悲惨な歴史が繰り返されないよう
未来の子どもたちに託したい
人形にそれぞれの想いを
重ねていただければ・・・

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ホテル 舞浜ユーラシア に人形展示替え

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ホテル 舞浜ユーラシア に人形展示替えに行ってきました。
今まで展示していた「パコダの少年僧」「生きるーまなざしⅠ」「生きるーまなざしⅡ」を、
「ひょっとこ三兄弟」「ばあちゃん三人寄れば」「じいちゃん大好き」に入れ替えました。

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( ホテル舞浜ユーラシア 展示入れ替え )

舞浜駅からホテルまでのシャトルバスも結構いっぱいで、客入りはだいぶ元に返ってきたということでした。
こんなにディズニーランド入口まで来ているのに、いつも立寄らずに帰ります。

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( ディズニーランド )

銀座のホテルに泊まり、翌朝は築地で食べ歩きました。

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( 築地 )

もう一つの目的、久しぶりに九段下にある「昭和館」に行ってみることでしたが、
残念! 月曜日、休館日でした。

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( 昭和館 )

後で製作した「靴磨きの少年」「千人針」が、
何処に展示してあるのか見たかったのに・・・と
暫くたたずんでいたら、ちょうど出会った職員の方が
2017年、最初に「青空教室」をご依頼くださった方だった。
今は違う部署に異動されて、
休館だけどやることがあり出勤したと言うことで、6年振りの再会でした。


隣の敷地、東日本大震災で天井崩落事故 閉館となっていた「九段会館」が
レトロモダンな「九段会館テラス」として、建て替えられていたので入ってみました。

五階の屋上庭園からは、武道館や靖国神社の鳥居、お堀などが眺められ
ここに来て良かった!

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( 九段会館3枚 )

早くも立春が過ぎてしまった

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今年に入り、早、立春も過ぎて、前回のブログから随分、間が空いてしまいました。
その間、ずっと取り組んでいる作品があって、もう少しで完成!と思いきや、
気にかかるところが目に付き、大手術・・その繰り返しです。

人形を自己流で創ってきて 40年以上が経ち、少しは以前より技術は向上している筈なのに、
この有様、その情感をどう伝えるか、いつも四苦八苦しています。

「家族・祈り」がテーマの沖縄のお寺さんに設置される人形で、もう少しで完成予定です。

2月3日の節分の恵方巻きを今年も作りました。

孫が2人出てしまったので10本、
  卵焼き、椎茸、人参、かんぴょう、たくあん、
  キュウリ、かに玉、大葉、サーモン、いくら
  具たくさんの豚汁に湯豆腐、ふろふき大根


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写真メールを送ったら、二人の孫から「おばあちゃんの恵方巻き、食べたかった!」

だから頑張って作るのです。
どんなに忙しくても、孫たちの思い出に残るのなら・・。

坂内義雄氏胸像への入魂清祓い神事

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11月26日、皆生温泉観光(株)皆生OUランド内で、
昨年、制作した 坂内義雄氏胸像への「入魂清祓い神事」がありました。

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( 入魂清祓い神事 )

昨年、この胸像制作に当たり、坂内義雄氏がどういう方なのかと、
その性格や背景をまず知ってからと資料を拝見して、数々の企業の社長
会長などの要職に就かれ、多方面に顔が広く、温厚で寛容な人格者だった。

そして、生涯を人のため、社会のために尽くされ、たくさんの功績を残されたそうで、
皆生温泉開発もそのひとつでした。
こんな方がいらっしゃったんだと感動しながら創らせて頂いたんだけど、
正面から写したたった一枚の写真から立体に起こすことは大変で、

しかもその人格が少しでも表現できればと思いながら・・・
抗癌剤治療中だったけど、そのお陰で副作用も軽く感じられた。
ちょうど一年前に完成、設置されたんだけど、その後 青さびの程度がどんな風に
なったんだろうと気になっていましたが、少し味がでてきたのかな?

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( 坂内義雄氏胸像1 )

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( 坂内義雄氏胸像2 )

この日は 坂内義雄氏の命日でもあり、「いい風呂の日」で、
車尾の貴布禰神社宮司さまにより 入魂清祓い神事が行われました。

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この度の京都行きで一区切りのつもりだったけど

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11月、3年振りに京都に行ってきました。
目的は、宝鏡寺と清水寺にご挨拶参り。

清水寺
10年前に米沢(山形)での人形展で 黄色のTシャツにサインをしたことがきっかけで繋がった
東日本大震災復興支援活動を今も続けている 宮崎県のNPO法人「絆の黄色いハンカチ」から
宮崎の日向市に、清水寺の森貫主ご一行と共にご招待いただいて以来、
親しくさせていただき、清水寺にお詣りしたときは、
寺務所で日向に同行された 西田寺務長さんや、
後で同郷で私の小中学校の先輩だと分かり驚いた 福岡副寺務長さんに
寺務所でお会いしてたのだけど 8月で退職されたので、
寺務所でお供えと名刺を渡して「貫主さまに宜しくお伝え下さい。」と伝え、お参りさせて頂いた。
後日、森貫主から達筆のお礼状とサイン入り扇子が届き 恐縮しました。

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( 清水寺・扇子 )

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( 清水寺寺務所 )

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( 清水寺成就院前の池 )

宝鏡寺
2007年の「人形展50周年記念展」が人生の大きな転機となってから、15年目になる。
以前とは違う部屋に通して下さり、春夏秋冬の襖絵も美しく、頂いた紅茶もおいしかった。
3年前に副住職だった 恵厳禅尼が癌で遷化されたとのことで、私の体調も気を遣って下さった。

この15年間、いろいろなご縁が 不思議に宝鏡寺に繋がったきた。
中でも、2018年 大山開山1300年祭のレセプションで 
偶然、隣にいらした 春日大社宮司 花山院弘匡氏の伯母様が
宝鏡寺の先々代御門跡で皇室ゆかりの人形を特別公開されたのは、
その花山院慈薫尼で 2007年の人形展50周年記念公募展を企画し、
期待されていたのに遷化されたそうで、その公募展が無かったら
今の人形作家としての私は存在しなかったのです。

そして、119代光格天皇の御生母 大江磐代君は、鳥取県倉吉市の御出身だということ
生前譲位をなさった上皇陛下は、光格天皇の譲位を範とされたということで
倉吉に行幸啓の折、同行された昭和館館長(羽毛田元宮内庁長官)にお聴きした。
そんな話の後、なんと阿弥陀堂にご案内くださり、感動しました。
光格天皇勅作阿弥陀仏立像が、御所より移されるときに宝鏡寺に移築されたそうです。
光格天皇の皇女も、宝鏡寺24世御門跡でした。

そして、鎌倉円覚寺に不思議なご縁から奉納し常設されている「坐禅」人形が
縁を結んでくれて分かった、無外如大禅尼の 生誕800年祭を来年されるそうだ。
(円覚寺開山の無学祖元禅師に師事し、京尼五山筆頭の景愛寺を開山)
その6世 華林宮恵厳禅尼(光厳天皇皇女)が宝鏡寺を開山し、
景愛寺が応仁の乱で焼失した後も、法灯を今に受け継いでいる。
宝鏡寺と光格天皇がこんなに深い関わりがあったということに又、驚きと感動!!
御門跡が最後におっしゃった
「皆さんに説明する時、あの「母ちゃんよんで」のミニチュアがあったら・・」
勿論、創らせていただきます。
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( 宝鏡寺・紅葉 )

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( 宝鏡寺・白松 )

瑠璃光院
叡山鉄道の終点 山と渓谷が織りなす風光明媚な 八瀬にあります。
新宿瑠璃光院白蓮華堂の副院主をされている 永楽さんが ちょうど この8日間ほど 
京都瑠璃光院に来ていらっしゃるということで、参詣させていただきました。

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( 瑠璃光院・山門 )

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( 瑠璃光院・紅葉 )

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( 瑠璃光院・永楽副院主と )

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( 瑠璃光院・一瞬、瑠璃色に輝く瑠璃の庭の泉石 )

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( 瑠璃光院・書院、瑠璃の庭(下半分はテーブルに写っている) )

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( 瑠璃光院・釜風呂 )

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( 瑠璃光院で写経 )









きっかけは ブログのメッセージから

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千葉県在住の86歳 元大手の商社マンだった方から、9月上旬、一通の手紙が届いた。

  様々な原因で人が追い詰められたとき、
  その緊張をほぐす役のできるオモチャ、人形を探していた。
  自分は貿易屋なので、世界中を探せばなんとか集められるだろうと動いたけど、
  希望通りの物を得るのは不可能だった。
  創作人形の世界もいろいろと探したけど期待外れ。


そんなある日、インターネット上で 安部朱美のブログと出会い、
驚いて作品集を取り寄せられ、ブログ上にメールをいただいた。
昭和館などにも人形を見に行って下さったそうで・・・

  そして、コロナが一段落したら 人形たちにゆっくり合いに行きます。
  米子の海も見たい、私はとにかく海が好きです。


そういう形で、私の人形に目を止めて下さったことは嬉しかった。

その一ヶ月後、電話があり米子にお二人がいらっしゃった。
お一方は鎌倉在住で島根県出身、元大手ゼネコン勤務だった方
人形が常設されてる山陰歴史館、皆生OUランド、米子市観光センター、
キナルなんぶ にご案内し、我家に来ていただいた。

車中や食事の時、駐在されていた中国や北朝鮮のお話などを、大変興味深くお聴きした。

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( キナルなんぶ(南部町) )

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( 加納美術館(安来市) )

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( 皆生OUランド(米子市) )

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( 米子観光センター(米子市) )

「今年元旦にNHKの番組で、米子城跡は《絶景最強の城》に選ばれたんですよ」と何気なく言ったら、

「妻方に"荒尾”という親戚がありますよ」と島根県出身の方、
エッー! そういえば 米子城主で荒尾姓は聴いたことがある…

後日、米子城主のことを確かめようと
「米子の歴史」「鳥取藩池田家の殿様」などの本に目を通していくうちに

 ~目からうろこ(鱗)~

荒尾氏をきっかけにして急に視野が開け、今まで知らなかった身近な歴史が、実態が、
分かってきたような気がする。
岡山から鳥取へ
お国替えとなった池田光仲公(3才)の筆頭家老 荒尾氏が藩政の中心となり切盛りした。
そして米子城主を預かった。

そういえば、池田光仲公が始めたといわれる「麒麟獅子舞」を30年前に作ったことがある…

わざわざ米子に来られ、はじめてお会いしたお二人のお陰で 
72才にして また又 新鮮な学びをさせて頂いた。

地球は様々な課題を抱えている・・・

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どんなに異常気象でも、季節はめぐり移ろってきます。
彼岸が過ぎ、虫の合唱が響き渡り、当りはすっかり秋です。

彼岸前には咲き、10月の声を聴くころには姿を消す律義な彼岸花も、
この頃の気候変動の影響なのか、うーん遅く咲いたり数が少なかったりしていましたが、
今年は早くから姿を現し、あちらこちらで赤い群生が見られました。

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( ばあちゃんが好きだった彼岸花(埼玉県 高麗の里) )

エチオピアにJICAの専門家として行っている次男から写真メールが届きました。
普段は 首都アジスアベバにいるのですが、
エチオピア北西部にある 青ナイル川の源流・タナ湖の南岸に位置するハバルダール に 
毎月、半分位は行っているそうです。(飛行機で1時間)

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( 青ナイル川の源流・タナ湖 )

エチオピアは起状の激しい内陸国で土壌、水、植生など自然資源の劣化が見られ、
水食による土壌浸食を抑制して土地生産力の向上を図るプロジェクトに携わっているようです(?)
慢性的な食糧不足、安全な水供給不足、社会基盤が脆弱で、深刻な貧困問題を抱えていて、
都市と農村の格差があり、自然環境と貧困に同時に取り組むことが大切なんだとか・・・

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( マスカルデー前夜祭 )

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( 農村の子どもたち )

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( 農村の寸景  )

地球はどの国でも様々な課題を抱えています。
環境、人権、平和 ・・・

土門拳写真集と昭和の人形

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安来市加納美術館で 土門拳記念館コレクション展
「土門拳~肉眼を超えたレンズ」 が開催されています。
2007年に 「昭和の人形で全国巡回展をしませんか」「3年間で約100体は作ってくれませんか」
というお話があり、昭和の人形に取り組むことになったのだけど、
その中で、土門拳氏の撮影された子どもたちの活きた表情が瞬時に捉えられた
写真集が大いに参考になったのです。
表情、ポーズ、服装など・・・
イメージが次々と涌いて形になっていったのです。

2011年10月に酒田市美術館で「昭和の家族~絆」展をさせて頂いた時に、
当然 土門拳記念館にも行ってきました。

巡回展ポスター
( 巡回展ポスター )

9月11日には土門拳氏の内弟子で、写真家 現在
土門拳記念館の学芸理事をされている 
藤森 武氏が講演されたのですが、
当時、電話で話したことを覚えて下さってたということで感激しました。

そして又、9月10日 「お位牌堂の屋根を明るく照らす酒田の名月です」と
写真メールを送ってきて下さったのは、あの鑑真和上をお作りした酒田の光傳寺さんです。
なんと ジャストタイミング!!
「あの坐禅人形を見て下さった 安来市加納美術館で土門拳記念館コレクション展をしてるんですよ」
とメールを返すと、
「昭和の子どもたちの作風は土門さんの写真風に見えていました、
そうだったんですね、いろいろなご縁が繋がるものと、有難く思います」と光傳寺さん

2011年に酒田に行った写真を見て、当時を思い出しながら懐かしく、
改めて 繋がっていくご縁の不思議を感じました。

酒田美術館
( 酒田市美術館 )

酒田美術館2
( 酒田市美術館内 )

美術館芝生から鳥海山を望む
( 美術館芝生から鳥海山を望む )

創作人形展「繋がり」の動画を公開

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202い年4月28~7月3日まで、鳥取県八頭郡智頭町 国指定重要文化財「石谷家住宅」で開催された、
「安部朱美 創作人形展 ”繋がり”」での展示の様子を収めた動画をいただきました。

オフィシャルホームページにて公開していますので、そちらをご覧ください。

https://abeakemi.wixsite.com/doll

新作ができました

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2013年、絶妙なタイミングで多くの歯車がかみ合ってご縁が繋がり、
制作した「坐禅」の人形・・・

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そのひとつに、米子市車尾 梅翁寺(曹洞宗)があります。
子どもたちの座禅会を見せて頂き、
隅の方であくびをしてる子がいたり、足を痛そうにしている子がいて、
ヒントになった。

その時は、鎌倉の常設展示に置こうと思っていたので、
ご住職から「鎌倉なら臨済宗の方がいいと思いますよ」の一言から 
円覚寺(鎌倉)に繋がっていったのですが・・・・・
それ以来、梅翁寺さんとは親しくさせて頂いて この度の人形になりました。

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ウクライナに今も滞在して、国営通信社の日本語ニュースを担当、
発信している 米子出身の平野高志さんが新聞の「人」欄に載っていた。
知人の息子さんで、以前のブログでも、ロシアの侵攻が始まった頃から 心配で案じていたけど、
「情報の空白をつくってはならない」との使命感で、ウクライナ人が書いた記事を
日本人が分かるように朝から深夜まで 翻訳、編集する日々が続いてるのだそうです。
御無事でご活躍されますこと お祈りしています。

私の次男も1ヶ月の夏休暇でエチオピアから帰り、家族の元で過ごしていたけど、
7月末に又、エチオピアに向け経っていきました。